アイデンティティではなかった

落ち込んでいることに安心しているし

死にたいと思っている自分に安心しているし

人生を諦めている自分に安心している

ネガティブであることが私のアイデンティティ

ただ、これは「甘え」というものなんだと分かるくらいには大人になった

私は仕事が出来ないし、他人ともうまく関われないダメ人間だ

それを正当化するために私はずっとネガティブな考えばかりだったんだ

「今私は落ち込んでいるんだから、こんなことできない、勘弁してくれ。」

「私は仕事が出来ないけれど、その代償で『死にたい』とまで思っているんだから別にいいだろ。」

「私は他人とうまく付き合えないんだけど、それで自分が落ち込んでるだけで、他人には迷惑かけてないんだからいいだろ。」

甘え、だ。ただの甘え。

仕事を頑張ることもなければ、他人に積極的に話しかけて仲良くなることもしなかった。

それらが苦手であることを理由にして目を背け、辛い思いを自ら作り出して、勝手に傷を抱え、自分でその傷を舐めながら自分を可愛がっている

それが私だ

これを認識したときからもう逃げられなくなった

どうしよう、どうしよう、どうしよう

何者かになりたい

三連休だ

社会人に与えられたオアシスの日

それなのに気分が冴えない

原因は分かっている

台風の気圧の影響と

期末なのに営業成績を上げられていなくて職場のお荷物状態の私

連休後に職場に行くのが憂鬱だからだ

それでも何かしなければと近郊の観光スポットに行って一眼レフを構えてきた

カメラを趣味にしてみてからまだ日が浅い私

撮った写真は、おじいちゃんの慰安旅行に連れて行かれたデジカメに収まっているような安っぽいものばかりで

ほとほと嫌気がさした

さらにその目的地に行くまでの道は悲しくなるだけだった

職場の先輩に紹介された男の子と一回だけドライブに行った時に通った道だ

その人は明るくて、気遣い上手で、家族と仲が良くて、生活を楽しんでいて、ドライブ中に大きな声で歌う愉快な人だった

一日一緒に過ごしただけなのに好きになった

この人とこの先も一緒に過ごせたらどんなに楽しいだろうかと思った

最後、ドライブが終わってお別れの時

相手が「また」という言葉を言ってくれなくて、私ともう会う気がないのを知った

私も私で相変わらず「また」という言葉が言えなかった

それでも私はこのときの自分のことを誇りに思う

「また」なんて言葉を発しなくてよかった

これ以上醜い女にならなくてありがとう

 

車から流れるクリープハイプの掠れた声を聞きながら

中古の軽自動車を運転している私を可哀想だと思った

私は本当に毎日可哀想だ

私は他人、特に異性から好意を向けられたことが一度もない

だから、自分の幸せは自分で作ってあげなければいけないと思っている

ドライブしながら芸人のラジオを聴いて笑い

youtubetwitterで他人に触れ

写真を撮り趣味を持っているようなフリをして

旅行に出かけて黄昏てみる

そうやって幸せであるフリをしなければ私は本当に可哀想な人間になってしまう

でも、いつまで一人で自分の幸せを工面しなければいけないんだろう

 

 

私には覚悟がない

他人に受け入れてもらう覚悟がなければ、自分で生きて行く覚悟もない

早く、早く、早く

人生なんて弱火で燻っとけばいいよ

大学を卒業して新卒で働き始めてから1年半経った

学生時代に住んでいた横浜は、雪に支配された田舎から出てきた身としては最高の環境だったし、厳しい親の目も離れて遊びまくった

趣味がなくで自分からは動こうとしない私を遊びに連れ出してくれる友達にも恵まれた夢のような大学生活を過ごした身にとって、初めての社会人というものはそれはそれは大変だった

四六時中「辛い」「辛い」「辛い」と頭の中は苦しさが支配していたし

暇さえあれば死にたいという思いが浮かんできて気持ちを押し殺すことが大変だった

疲弊した疲れた心底疲れた

家族に恵まれて、いい大学を出させてもらって、会うだけで幸せになれる友達が出来て私の人生は順風満帆だったはずなのになんでこんな苦しい思いをしているんだろう

それが私の直近1年半だった

けれど人間っていうのはそんなに長く悩めない

数え切れないほどの「辛い」「苦しい」「死にたい」を繰り返した私は

最近吹っ切れた

「死にたい」と思えば、「あ、私は今死にたいんだな」と死にたい気持ちを単なる事象で受け止められるようになった

死にたいからって死ぬ必要もないし、死にたいという気持ちを無理に拭う必要もない

人間は幸せになる必要もない

別に幸せでなくたって人生60年くらい生きていける

 

幸せにならなくてもいいよ

この先60年間、また「辛い」「苦しい」「死にたい」を繰り返すんだと思うんだけど、それもいつか必ず終わる

運が良ければ60年を待たずに30年、10年、5年、明日にでもそれは来るかもしれない

頑張れ私

生きているだけでいいよ

遠距離友人Mちゃん

facebookの通知が教えてくれたのだが、大学時代の友達が誕生日を迎えた

大学卒業後すっかり会話が少なくなったラインを起動させて「おめでとう」と送る

申し訳程度に「元気?」と相手の状況を伺う言葉を付け加えて

 

友人である彼女はとても聡明で上品だ

いつも背中がピンと伸びていて、部屋は常に清潔にされ塵一つない

私がfacebookの通知でしか友人達の誕生日を思い出さないことに反して、彼女は毎年0時きっかりにおめでとうメールをくれる

猫背で、飲みかけのペットボトルで溢れる部屋に住む私とは正反対のとても出来た子だ

ときにより、性格や見た目が正反対の人とは思いがけなく良い友人になれるということを彼女との関係で知った

 

彼女とは私とは正反対で、愚痴や辛いことを絶対に人に言わない

そして辛い出来事が過ぎてずっと経ってから「この時辛くて毎日泣いててさ」なんて話を笑いながらする

私は鈍感で彼女の辛い状況に全く気付かなかったし、彼女も彼女で私の慰めなど必要とはしていなかっただろう

だから、彼女のネガティブな部分を共有してあげることはなかった

 

そんな彼女のことだから、私の「元気?」に対する答えは鼻から分かっていた

「元気だよ!!」の文字を見て、相変わらずの彼女に安心する

彼女が元気であるかどうかは本人しか知らない

私はこの先も、彼女の力になれることもなければ慰める機会もないんだろう

 

ただ、私と過ごす時は、人生の辛さは見て見ぬふりをして、いつもみたいに思い切り笑って楽しんでもらえますように

辛さや大変さを分かってあげられなくても、今までみたいに全力で人生ゲームをしたりUNOをすることもできるし、大好きな韓流俳優のかっこよさを何時間も議論することはできるよ

彼女にとって、辛い時はぶっちゃんと過ごそうかな、と選択肢の一つに入れてもらえるような存在でいれますように

 

誕生日おめでとう

あなたが幸せでありますように

友達依存症候群

私は友達に依存している

自分自身の唯一好きなところは、大好きな友人を持っているところだし

少ない給料のなかから多額の交通費を捻出してどこまでも友達に会いに行っちゃうし

友達と一緒にいる時が唯一、自分が自分であるような感覚がするし

私の生きがいは友達だけだと大きな声で宣言できる

友達への想いが強すぎて、私の友人達には私の生き霊がついていると思う

 

こんな症状に反して、私には友達が少ない

特に今生活している地元には友達がいないのでなんとも苦しい思いをしている

毎日毎日友達に会いたくて仕方ない

辛い時は友達と話す妄想をすることで精神を保っているほどだ

しかしそんな時でも絶対に友達にラインしたり電話したりはしない

友達に依存していると思われるのが嫌だ

そして彼らの日常の邪魔をしたくない

友人には友人らの日常がある

私の日常はほとんど友人で埋め尽くされている

しかしそれは私の場合であって、彼らにはそれぞれ家族がいて、恋人がいて、先輩や後輩がいて、他の友人がいる

 

だから友達に頼らず人生を過ごせるよう、一人に慣れようとする

一人でこうやってブログを書き、一人旅をし、一人で映画を観て泣き、笑い、一人で勝手気ままに生きていく訓練をしてしまう

そうするうちにまた友達が遠ざかってさらに友達が少なくなり、残った友達への依存を深めていく

 

 

ブログ村世界一周準備カテに入ろうと書き始めたのに重すぎる内容になってしまうやつ

私の目標は世界放浪をすることだ

東南アジアのモワッとした空気に包まれながら香辛料の強いスープを飲む

うざいバイタクのおじさんを華麗にかわし気ままに歩き、気になったカフェで好きな本を読む

ヨーロッパの美しい建造物を見ながらチーズと生ハムとワインで乾杯する

アフリカの地球とは別の惑星に来てしまったような景色の中で像やライオンを探す

陽気な声が聞こえる南米で人々のダンスを見る

こんな夢のようなことが味わえたなら、私の人生も少しは素敵になるんじゃないか

最近は疲れてしまって生きている気力がない

周りに友達がいなくてパワーをもらえないし

自分をうまく表現できなくて辛いし

仕事は失敗ばかりで辛いし

相変わらず彼氏はできない

誰もが抱える悩みのはずなのにこれしきのことで死への願望が膨らんでくる

最近の私の叶えたい夢は「今日死ぬこと」だ

それでも自殺しないのは、家族に愛情を注がれながら育ち、大好きな友達が同じ空の下にいるという安心感からかもしれない

とにかく、私は死にたくてしょうがないけど、自殺するような人間じゃないから、それだけは事実だから、なんとかして生きていく工夫をしなければならない

それが私にとっては「世界放浪」だ

仕事に疲れて心底自分が嫌になった時、その解消法を私は知っている

旅に出ること

私にとって毎日は非日常で、旅に出ている時だけが日常のような気がした

旅している時は「死にたい」なんて思いつくことがなかったし、楽しそうにしている自分が愛しかった

これから毎日の非日常を生き抜くためには、旅という日常に戻れることを目標とするしかない

こんな辛い毎日を頑張ることはできないけれど、それでも、ただ、世界放浪という目標は、こんな生きづらい世の中を生きるための理由くらいにはなるだろう

誰にも迷惑かけないし、自分の心さえあれば叶うことだからね

目標額の6分の1が貯まりました

果てしないけど大丈夫

生きるためだからね

 

1905文字

私は、母が市役所勤め、父が教員という公務員一家に生まれたので、比較的厳しく育てられた。おもちゃは買ってもらえなかった。みんながたまごっちで遊ぶ間、私は自分で作ったビーズのネックレスの先を、感情を殺して見ていた。テレビドラマも観せてもらえなかった。クラスのみんなが金八先生の話で盛り上がっている時、私は自由帳を眺めていた。小学校の時は熱心に習い事に通い、中学や高校の時は朝から晩まで勉強した。

 

こう振り返ると随分頑張った。小学生の頃から、周りのワイワイガヤガヤに入り切れないあの特有の切なさを味わっていたなんてかわいそう。ネックレスの先を無意識に見ているのはヤバイ。今すぐ抱きしめてあげたいレベル。

 

ともあれ、このような幼少期を経たおかげで私は至極真っ当に育ったと思う。犯罪をせず、勉強を人並みにこなし、就職は自分の望み通りにいかなかったけど、それでも地元の優良企業に就職し、実家にも戻ってきた。

 

それでは、この「いい子ちゃん」のロールモデルのような人生を過ごし、弊害は何か。それは、いつまで経っても人の人生に憧れてしまうこと。周りの子達を羨ましがる癖が抜けない。また、自分で頑張って生きるよりも、親の方が子育てを頑張った結果、私は自分で考えることを疎かにし、生かされてきてしまったがために、自分の人生に自信が持てなくなってしまった。

 

私が特に憧れているのがヤンキー。私はヤンキーに憧れている。ヤンキーは楽しそうだった。いつも「ダチ」で集まって、騒いで、華のような笑顔が彼らにはあった。ヤンキーには絶対恋人もいた。人と両思いになるということは、年頃の中高生だった私にとっては奇跡のような素晴らしいことだった。

 

そして、彼らはどう見ても「勝ち組」だった。

私は娯楽もないような田舎で育った。このような逃げ場のない田舎で楽しむためには、人と関わるしかない。家族や友達、恋人ありきの社会。むしろそれしかない社会。

友達や恋人を大切にして、その存在を生きがいに出来るヤンキーが私にはとても羨ましかった。それにやはり、青臭い年頃の中高生だった私にとって、彼らは格好良かったというのもある。

 

私はいつか、この、人の人生にばかり憧れてしまう現象から抜け出せるだろうと思っていた。自分が楽しめるようになれば、自分の人生はつまらないと思わなくなるだろうと。人は言う。「女の子は化ける」と。私は化けて可愛くなって人生を楽しめるようになる瞬間を待った。そして、高校卒業、18歳、19歳、20歳、21歳、22歳、23歳と、数字を見るだけで輝かしい期間を、毎日毎日待って待って待ち続けたが、結局化けることはなかった。

 

さらに最悪なのは、恋愛についてもノータッチだったことだ。あまり楽しくない子供時代だったけれど、恋人が出来れば楽しい思いができて、その楽しさは私の人生を払拭するくらいのパワーがあるはずだろうという妄想が、恋人いない歴=年齢、が更新されればされるほど、膨らんでいった。しかし、電流がはしっている電線ごとく、恋愛については触れることも許されなかった。幼少期の友達にあまり馴染めなかったことに加えて、宝石のような年代に恋愛を知ることなく終わってしまった事実が、ますます私を卑屈にした。

 

だから私は24歳になってもなお、私の人生をくそだと思っていて、ヤンキーになりたい気持ちから抜け切れていない。自分の子供は自分と正反対に育てたい、ヤンキーに育てたいという思いがあるくらいだ。それほどに、自分の満足のいく人生が過ごせなかったことに絶望している。しかし、私も社会人になったことだし、いつまでもヤンキーに憧れていないで、そろそろ自分の人生を見つめてもらわなければ困る。

 

それには、早く地元に友達を作ることと、結婚することが必要だ。結婚に関しては「早く結婚して」と30歳の私が今の私に向かって言っているのが聞こえている。幻想ではなくて聞こえている。30歳の私の思いが強すぎて本当に私にその叫びが届いている。このまま一人で生きていくことに慣れてはいけない。20歳前後の時は、もう私は恋人を作るのは無理だろうからと、一人で楽しく生きていく術を身に付けようとした。その結果、趣味がひとり旅になってしまった。しかし気付いた。このまま一人で生きていったら、人の人生に憧れることから抜け出せないと。人を支え、支えてもらう体験をしなければだめだ。結婚しなければだめだと。世間体でもない、親のためでもない、私のために結婚しなければだめだ。いや、冷静に考えてまずは処女卒業からクリアしないとだめだな。これがクリアできれば、案外このこじらせも、だいぶ解消されるかもしれない。