旅の戯論

インドの小さな村にいた。世界一美しい大地の一番高い丘の上で、夕日が遠く沈んでいくのを見ていた。今までに見たことがないほどの大きな夕日。

 

その場所では、家と外の境界線が曖昧だ。

私は一日の大半を宿の外のベンチで過ごし、旅人らと語らった。

うまくいかない人生が集まっていた。

けれど、うまくいかない現状を受け入れるほど素直ではなくて、

何かを求めていた。

そして、みな、その何か、を掴みかけていた。この不思議な国で。

ひとりが言った。

「インドに呼ばれてきた。」

 

母が何気なく言った言葉が頭から離れなかった。

「インドに行って亡くなった友人がいる。2人ね。原因不明の体調不良で。」

私は、冗談、にでも、心のどこかで、期待していた。

「インドにだけは行かないでね。」

インドに呼ばれた。

 

美しいものを見た。

思い出にならないでほしいと願った。

大地が赤く焼けたこの光景を、少しとして色褪せず、私の中に残ってほしい。

こんなに美しいものが世界にあるなら、生きていてもいいかもしれない

そう思った。

 

それから半年。

その光景は部屋の壁に飾られているが、私に見向きもされない。

私の願いも虚しく、そこは思い出となった。

まるで、私ではない別の人が経験していたことみたいだ。

夢のようだった。夢を見ていたと言われた方が現実味がある。

それほどに、旅の記憶は儚くて、自分のものではないみたいに輝いている。

そしてまた私は、ほんのりと死を頭に思い浮かべながら、生きている。

生きていてもいい、と思ったのは、本当に自分だったのだろうか。

 

旅とはなんだろう。

最近考える。

旅がしたい。

けれど私にとって、それは、非現実の枠を飛び出ることはない。

旅の記憶は、あまりにも、儚い。

だから、いいのだろうか。

「インドに呼ばれている」なんて、失礼な戯論を言えるくらいには。