私たちは環境の中でしか変われないし、環境が変われば必然的に変わってしまう。

前回の記事を読んで口から反吐が出そうになりました。いや、それこそその時の私は口からヘドロが出そうなくらい苦しんでいたんですけどね。それでも前回の記事から5日ほど経ちましたかね。5日。たったの5日。1週間という区切りのいい単位まで待てないほどの浅い日にちで、私はいとも簡単に元の精神状態に回復致しました。なーんてこったい。死にそうなくらい苦しんでいたのにね。私なんて大体こんなもんですよ。今度また鬱状態が来ても自分のことを放っておきましょう。どうせ回復するんだから大丈夫です。ところで、ブログというものは中々いいものですね。自分の精神状態の軌跡を図ることが出来るというのは意外に大事だと思います。

あ、でも仕事はあと1年で辞めます。これは決意でしたから。決意は守っていかないと、自分の軸というか、自信みたいなものが無くなっていきますから。自分との約束は果たさないといけません。他人との約束よりも大事です。

 

と、前回の鬱ブログのことはこれくらいにして、今日はまた、頭の中にちょっと湧き上がって来た事柄について記していきたいと思います。

 

それは、「環境は大事だ」という話です。こんな、意識高い大学生が就活前のインターンで得るような気づきを、何を今更アラサーのOLが言っているんだと思いますが、私は意識の高い大学生でもなかったし、インターンにも行かなかったし、就活も失敗した結果のOLですのでしょうがないです。

 

林先生の初耳学というテレビ番組でやっていたんですけど、日本の学歴社会は世代を超えて固定化していくという話(大卒の親の子供は大卒になりやすいし、高卒の親の子供は高卒になりやすい)。私はこの説は本当にその通りだと感じています。そして私自身はどちらの層になりうるかというと、ちょうどこの間で錯綜しているのではないかと分析しているんです。何故なら、私は大卒ではありますが、地方出身であり、今なお地方で暮らしているからです。

 

学歴社会の話だったろ、なんで文脈に関係のない地方がどうたらって話が来るんだよって話ですけど、私はこの学歴格差という言説に、地方格差というものも混ぜ込む必要があると思うからです。

 

私は、地方の中でも田舎の方の出身です。もちろん周りには大学はないし、有名企業もないです。川でタニシを大量に取ってクラスの水槽の中で飼った結果水槽内の生態系をグズグズに崩し、敵対する男子学生にクラス会議で責められたり、通学路で夜遅くまで雪合戦を繰り広げ、毎日帰宅が遅くなって先生に本気で怒られたり、そういう学生時代を過ごして来ました。高校生になっても。そのような環境で、勉強は大事だなんて思っている人はほんの一握りしかいなかったと思います。地方の高校は少子化の打撃をもろに受け、どこも定員割れだったので勉強する必要がありませんでしたし。私自身、大学なんで行かなくていいと思っていました。周りの大人たちで大学に行っている人はあまりいなかったし、同級生でも大学に強い憧れを持っている人は少なかったです。私は高校の時、親に無理やり入らされた塾の先生(某有名優秀大学卒業で元一流企業戦士)に感銘を受けて、大学に強い憧れを抱き、価値観が変わりました。でも、本当にそういう人が田舎には少ないので、やはり地方では学歴を形成しにくいとは思います。勉強するきっかけがないというか。大学進学のイメージが掴めない。大学に進学してどういった職業につけるのか、とか。

 

それでも、私は猛勉強の結果、そこそこに優秀と言われる、都市の大学に進学出来ました。そこでびっくりしたのは、大学の同期の家族の学歴や、勤める企業。なんでそんなに一族みんなが優秀なの、と。これは、都会人に顕著だった。地方出身の同期は、私みたいにぽっと出というか、ちょっと勉強出来たから間違えて入っちゃいました⭐︎みたいな人もいるんだけど、都会人は違う。お父さん慶応、お姉ちゃん早稲田、弟東大、みたいな。もちろん、そんなに優秀な人たちは卒業後、日本ましてや世界を代表する企業で働いている。いや、どうやったらそんな優秀な遺伝子が、みたいな。精子ドナー提供すべき。

でも感じたのは、もちろん遺伝子は大事だけれど、確かに、家族が有名大学に行っているのが普通の状態だったら、自分も有名大学に行くことを決める感覚が普通だよな、と。だから、 学歴格差と地方格差って密に関係していて、世代を超え固定化していってしまうと思うんです。

 

それで、私は都会にある大学にいたので、学歴にも接していたし、つまりそこにいる優秀な人たちにも接していたので、就活は都市部にあるネームバリュー万歳企業を目指しました。みんな有名企業の内定バンバン取るんだもの。まあ私は、受験勉強しか頑張らなかったカスカス人間だからもちろんことごとく失敗して地元の企業に就職したんですけど。

 

それで、地元に戻って来て、早2年。なんと、ここでまた心境の変化が生じて来た。「フリーターになろうかな」って。いやいや、どうした、私って。大学4年生のとき、有名企業で高給取りになるぞ!って頑張っていたでしょ、って。でも本気で考えています、フリーター。そう、あと1年で仕事辞めるって決意もしてしまってるしね。この心境の変化は、9割5分私自身に責任があるんですが、客観的に考えると、環境が少ーしだけ影響していると思う。地元に戻って、有名企業で働く大学の同期達が地理的にも精神的にも遠い存在になった。企業も遠くなった。東京で見るような会社はもちろん地元にはない。そして、私は地元に友達がいないし(衝撃的な事実)、田舎にはなかなか消費すべきコンテンツもなく、外的要因がないとでもいうのかな、自分一人この価値観の中で生きているような感覚。どんどん自分が収束されて、縮こまるような感覚。そうすると、考え方が自分だけの物差しになってしまう。今の仕事が嫌だし、自分のことも嫌いで、こんな自分は正社員の仕事なんかすべきじゃない。フリーターになろう、と思ってしまった、というわけ。

 

 

だから「環境は大事だ」という結論に至った。

 

もちろん、どちらが正解か、どちらが勝ち組かなんていう議論は的外れ。ただそこにそれぞれの人生がある、という事実だけ。

 

けれども私は残念ながら、田舎出身で田舎暮らしの野郎で、学歴や就職企業、都会などにとてつもないジェラシーを抱くコンンプレックス患者なので、やはり都会で暮らして子供をいい大学に入れたいという固定概念が消えることはない。学歴格差のちょうど真ん中で錯綜している立場の人間なので、できればミルフィーユの上の層にいきたいと願ってしまう。

 

ただ、自然の中で生きるメリットも最近分かって来ました。仕事もプライベートも周りの人間も自分も何もかも嫌になり、冗談でも死にたいと思ってしまうほど疲れた時、癒してくれるのは結局自然。自分がもしも何もかも失った時、すがるものはやはり自然がある環境だなとは思うようになりました。そういう時、子供時代に自然に接して来た私は強い。(そして、こういう風に思うようになったのも、地元に戻って来て自然の中で、自然大好き派の家族と暮らすようになった「環境」のせいなんですけどね。笑)