受験成功以外にも成功体験身につけないと人間終わるよ

私は試験勉強が得意だ。その歴史は中学生の時に遡る。お母さんの熱心な教育の成果なのか、私の真面目な気性のおかげなのかは分からないけど、なぜか私は「テストはいい成績を取らなければいけない」という意識がとても強かった。私は大変な田舎で育ったため、自称「進学校」というその地域の一番頭のいい高校は偏差値40台、知り合いの大人で大学に行った人は父親以外いなかった。周りの大人達のように、大学になんて行く必要がないと思っていた。そんな環境でなぜ「テスト勉強をものすごく頑張れる」性格になったのかは未だに分からない。もしかしたらだけど、私の天邪鬼というか、ひん曲がった根性がそうさせたのかもしれない。私は子供のころゲームやテレビ視聴を禁止されていて、友達との会話についていけなかった。いじめられることはなかったけれど、常に疎外感を感じていた。私は友達への「羨ましさ」を「軽蔑」という別の感情に置き換えることにより、疎外感をないものにしようとしていた。私はこの子達の輪には入れないけれど、その代わり、こんな子達にテストだけでは負けない。私なりのプライドがあったことは確かだ。

 

私はテスト前になると取り憑かれたように勉強をした。テスト前になると日常生活の時間さえもったいなくて、食事をエナジードリンクで済ませたり、お風呂に入らなくなった。一日二時間しか睡眠を取らない生活も一週間ほど続けた。体が限界だったのか、いい成績を取りたいというプレッシャーからか分からないけれど、テスト本番の日になるとお腹が痛くて仕方がなくなり、トイレを往復しながら保健室でテストを受けることもよくあった。

 

けれど私が勉強するのはテスト前だけだった。テスト前に猛烈に勉強して体調を崩すなら、毎日コツコツと30分でも一時間でも勉強すれば良い。子供なりにも分かっていたことだとは思うのだが、私はどうしてもそれが出来なかった。テストが目の前にないと、勉強するモチベーションがとことんなくなった。私にとっての勉強の意味は、「点数」を取ることだった。しかし、私のこの勉強の仕方は日本の義務教育にうまく対応していた。テストの点数が良い私は優等生だったし、高校受験、大学受験も点数の付くテストだから頑張れた。自分で言うのは気後れするが、一流の大学にも行けた。私はこの段階までは紛れもなく成功者であっただろう。

 

しかしこの付け焼刃のような勉強が通じるのはここまでだった。

 

大学に入学し、私は劣等生に変わった。自分でやりたいことを見つけ、世の中に対して抱える疑問を自分で調査していくという大学での勉学に私は対処できなかった。熱意に溢れ、何かしらに問題意識を持ち、地頭も良く、自分で思考出来る周りの優秀な学生には太刀打ちできなかった。考える能力がなく、のらりくらりと適当に過ごすしかできなかった私は、「大学生活において何も成し遂げられていないよね」なんてあからさまに先輩に言われたりした。

 

最近、弊害がもう一つ見つかった。趣味が身に付かないのだ。趣味の学び方が分からない。私はもともと趣味がない人間なのだが、社会人になってから、何か気晴らしが必要だと意識的にカメラを始めてみた。旅行が好きで、カメラはそれと切っても切り離せない関係な気がしていたし、綺麗な写真が撮れたら嬉しいだろうと思った。カメラを買って、なんとなく撮ってみる。思い描いていたような絵が撮れない。初心者だし当たり前だと思っていたので、特に気落ちもせず、勉強しようと思った。しかし、どうやって勉強すれば良いのだろう。情けないことに、分からなかった。とにかく、googleを開いて、「カメラ 初心者 撮り方」と検索してみる。無数にサイトが出てくる。クリエイティブ系の企業が綴るコラムだったり、カメラ女子のおしゃれなホームページだったり、カメラ歴何十年のおじさんの書くブログ記事だったり。私はこの中からどうやって腕を上達させるための情報を選定しなければいけないんだろう。軽い絶望が胸に落ちた後、それよりも軽く諦めの思考が降りてきた。

 

私は受験勉強は得意だけど頭が悪い。マニュアルは好きだけど、自分で考えることは嫌い。受験ってなんだったんだろう。頭のいい人が集まる大学に行って、このような優秀な人が世の中を作っているのだと知れたこと、学ぶことや遊ぶことに本気になっている人がこんなにも魅力的だと知れたこと、何に対しても自信を持っている人がこんなにもかっこいいのだと知れたこと、生き生きとしている人と一緒にいるとこんなにもエネルギーを感じると知れたことは、私の人生において自慢の経験となった。

 

けれど、それだけだった。結局、受験勉強しかできない私はこの人達と同じような一流の会社には行けなかった。給料はみんなの半分しかもらっていない。ノルマを達成できず、死にたい状態が続く。都会で働き、高級なお店でランチをし、各国を出張で飛び回り、働いたご褒美として自分を贅沢させてあげられる友人達を見ると、私はなんで毎日「死にたい」と思っているんだろうと憂鬱になる。

 

受験ってなんだったんだろう。我慢なんてせずに、もっと、自分を楽しませてあげればよかった。試験以外にも自分の好きなことや自分を表現できることを見つければよかった。そうしたら、生きるのって楽しかったのかな。