友達依存症候群

私は友達に依存している

自分自身の唯一好きなところは、大好きな友人を持っているところだし

少ない給料のなかから多額の交通費を捻出してどこまでも友達に会いに行っちゃうし

友達と一緒にいる時が唯一、自分が自分であるような感覚がするし

私の生きがいは友達だけだと大きな声で宣言できる

友達への想いが強すぎて、私の友人達には私の生き霊がついていると思う

 

こんな症状に反して、私には友達が少ない

特に今生活している地元には友達がいないのでなんとも苦しい思いをしている

毎日毎日友達に会いたくて仕方ない

辛い時は友達と話す妄想をすることで精神を保っているほどだ

しかしそんな時でも絶対に友達にラインしたり電話したりはしない

友達に依存していると思われるのが嫌だ

そして彼らの日常の邪魔をしたくない

友人には友人らの日常がある

私の日常はほとんど友人で埋め尽くされている

しかしそれは私の場合であって、彼らにはそれぞれ家族がいて、恋人がいて、先輩や後輩がいて、他の友人がいる

 

だから友達に頼らず人生を過ごせるよう、一人に慣れようとする

一人でこうやってブログを書き、一人旅をし、一人で映画を観て泣き、笑い、一人で勝手気ままに生きていく訓練をしてしまう

そうするうちにまた友達が遠ざかってさらに友達が少なくなり、残った友達への依存を深めていく

 

 

ブログ村世界一周準備カテに入ろうと書き始めたのに重すぎる内容になってしまうやつ

私の目標は世界放浪をすることだ

東南アジアのモワッとした空気に包まれながら香辛料の強いスープを飲む

うざいバイタクのおじさんを華麗にかわし気ままに歩き、気になったカフェで好きな本を読む

ヨーロッパの美しい建造物を見ながらチーズと生ハムとワインで乾杯する

アフリカの地球とは別の惑星に来てしまったような景色の中で像やライオンを探す

陽気な声が聞こえる南米で人々のダンスを見る

こんな夢のようなことが味わえたなら、私の人生も少しは素敵になるんじゃないか

最近は疲れてしまって生きている気力がない

周りに友達がいなくてパワーをもらえないし

自分をうまく表現できなくて辛いし

仕事は失敗ばかりで辛いし

相変わらず彼氏はできない

誰もが抱える悩みのはずなのにこれしきのことで死への願望が膨らんでくる

最近の私の叶えたい夢は「今日死ぬこと」だ

それでも自殺しないのは、家族に愛情を注がれながら育ち、大好きな友達が同じ空の下にいるという安心感からかもしれない

とにかく、私は死にたくてしょうがないけど、自殺するような人間じゃないから、それだけは事実だから、なんとかして生きていく工夫をしなければならない

それが私にとっては「世界放浪」だ

仕事に疲れて心底自分が嫌になった時、その解消法を私は知っている

旅に出ること

私にとって毎日は非日常で、旅に出ている時だけが日常のような気がした

旅している時は「死にたい」なんて思いつくことがなかったし、楽しそうにしている自分が愛しかった

これから毎日の非日常を生き抜くためには、旅という日常に戻れることを目標とするしかない

こんな辛い毎日を頑張ることはできないけれど、それでも、ただ、世界放浪という目標は、こんな生きづらい世の中を生きるための理由くらいにはなるだろう

誰にも迷惑かけないし、自分の心さえあれば叶うことだからね

目標額の6分の1が貯まりました

果てしないけど大丈夫

生きるためだからね

 

1905文字

私は、母が市役所勤め、父が教員という公務員一家に生まれたので、比較的厳しく育てられた。おもちゃは買ってもらえなかった。みんながたまごっちで遊ぶ間、私は自分で作ったビーズのネックレスの先を、感情を殺して見ていた。テレビドラマも観せてもらえなかった。クラスのみんなが金八先生の話で盛り上がっている時、私は自由帳を眺めていた。小学校の時は熱心に習い事に通い、中学や高校の時は朝から晩まで勉強した。

 

こう振り返ると随分頑張った。小学生の頃から、周りのワイワイガヤガヤに入り切れないあの特有の切なさを味わっていたなんてかわいそう。ネックレスの先を無意識に見ているのはヤバイ。今すぐ抱きしめてあげたいレベル。

 

ともあれ、このような幼少期を経たおかげで私は至極真っ当に育ったと思う。犯罪をせず、勉強を人並みにこなし、就職は自分の望み通りにいかなかったけど、それでも地元の優良企業に就職し、実家にも戻ってきた。

 

それでは、この「いい子ちゃん」のロールモデルのような人生を過ごし、弊害は何か。それは、いつまで経っても人の人生に憧れてしまうこと。周りの子達を羨ましがる癖が抜けない。また、自分で頑張って生きるよりも、親の方が子育てを頑張った結果、私は自分で考えることを疎かにし、生かされてきてしまったがために、自分の人生に自信が持てなくなってしまった。

 

私が特に憧れているのがヤンキー。私はヤンキーに憧れている。ヤンキーは楽しそうだった。いつも「ダチ」で集まって、騒いで、華のような笑顔が彼らにはあった。ヤンキーには絶対恋人もいた。人と両思いになるということは、年頃の中高生だった私にとっては奇跡のような素晴らしいことだった。

 

そして、彼らはどう見ても「勝ち組」だった。

私は娯楽もないような田舎で育った。このような逃げ場のない田舎で楽しむためには、人と関わるしかない。家族や友達、恋人ありきの社会。むしろそれしかない社会。

友達や恋人を大切にして、その存在を生きがいに出来るヤンキーが私にはとても羨ましかった。それにやはり、青臭い年頃の中高生だった私にとって、彼らは格好良かったというのもある。

 

私はいつか、この、人の人生にばかり憧れてしまう現象から抜け出せるだろうと思っていた。自分が楽しめるようになれば、自分の人生はつまらないと思わなくなるだろうと。人は言う。「女の子は化ける」と。私は化けて可愛くなって人生を楽しめるようになる瞬間を待った。そして、高校卒業、18歳、19歳、20歳、21歳、22歳、23歳と、数字を見るだけで輝かしい期間を、毎日毎日待って待って待ち続けたが、結局化けることはなかった。

 

さらに最悪なのは、恋愛についてもノータッチだったことだ。あまり楽しくない子供時代だったけれど、恋人が出来れば楽しい思いができて、その楽しさは私の人生を払拭するくらいのパワーがあるはずだろうという妄想が、恋人いない歴=年齢、が更新されればされるほど、膨らんでいった。しかし、電流がはしっている電線ごとく、恋愛については触れることも許されなかった。幼少期の友達にあまり馴染めなかったことに加えて、宝石のような年代に恋愛を知ることなく終わってしまった事実が、ますます私を卑屈にした。

 

だから私は24歳になってもなお、私の人生をくそだと思っていて、ヤンキーになりたい気持ちから抜け切れていない。自分の子供は自分と正反対に育てたい、ヤンキーに育てたいという思いがあるくらいだ。それほどに、自分の満足のいく人生が過ごせなかったことに絶望している。しかし、私も社会人になったことだし、いつまでもヤンキーに憧れていないで、そろそろ自分の人生を見つめてもらわなければ困る。

 

それには、早く地元に友達を作ることと、結婚することが必要だ。結婚に関しては「早く結婚して」と30歳の私が今の私に向かって言っているのが聞こえている。幻想ではなくて聞こえている。30歳の私の思いが強すぎて本当に私にその叫びが届いている。このまま一人で生きていくことに慣れてはいけない。20歳前後の時は、もう私は恋人を作るのは無理だろうからと、一人で楽しく生きていく術を身に付けようとした。その結果、趣味がひとり旅になってしまった。しかし気付いた。このまま一人で生きていったら、人の人生に憧れることから抜け出せないと。人を支え、支えてもらう体験をしなければだめだ。結婚しなければだめだと。世間体でもない、親のためでもない、私のために結婚しなければだめだ。いや、冷静に考えてまずは処女卒業からクリアしないとだめだな。これがクリアできれば、案外このこじらせも、だいぶ解消されるかもしれない。

 

女は黙ってケベックシティ

旅行に行きたいけど韓国や台湾などのありきたりな場所じゃ満足行かないめんどくさい女の子へ

旅行の行き先に迷ったら迷わずにケベックシティに行って欲しい

迷ったら迷わずケベック

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サカナみたいな形のカナダで説明すると、だいたい右端

ケベックはカナダの東側にある

ケベック州の中にあるケベックシティ

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ぎゃん可愛いですね

おとぎの国です

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お馬さんがいます

やっぱりおとぎの国なようです

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奥に見えますお城が勝ち組ホテル、フェアモントでございます

外壁はおとぎの国ですがお値段はThe資本主義国でございます

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ケベックシティは城壁のまち

城壁の内側がケベックシティの旧市街地であり観光メインスポット

なんと1時間でまわれます

おとぎの国は小さいに決まっていますからね

コンパクトシティの先端を行っていますね

小さすぎるのですぐに観光終わりです

私は最安値でここにたどり着きたくて

成田から発飛行機をシアトルで乗り換え

バンクーバーまでバスを乗り継ぎ

トロントまで飛行機で飛び

列車を乗り継ぎ乗り継ぎという果てしないことをしましたが

1時間で観光終わりとは贅沢すぎますね

さらに安く済ませたいあなたは、バンクーバートロント間を列車で4泊5日の旅(ノンストップ、シャワー無し)という狂いそうなルートもあります

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小さいケベックシティをぶらぶらした後は暇すぎるので

「川の上を通る船が氷河を割った道あと」が川の流れに乗って流されていくという様子をずっと見ていました

おとぎの国での過ごし方としては最高です

 

ここで2泊を過ごした後はケベック国際空港という名ばかりの国際空港からロサンジェルスに飛んでさらにワシントン国際空港へ、そこから成田へという移動

風邪と時差ボケが1週間治りませんでした

しかし時間がある方にはぜひ行って欲しい

 

楽しくもなかったけど、なぜか死ぬまでにもう一回行かないとと思っている場所です

 

 

「あー旅行いきてー会社辞めて旅行いきてー」を満たす本

前回は24歳のこじらせ女承認欲求のカタマリみたいな記事を書いてしまったので

少しばかり、いや、お腹が痛くなる予感がしたのに調子に乗って快速の電車に乗ってしまい案の定お腹が痛くなって死にそうになった時くらいの後悔はしている

しかし記事は消さない

私はこの自分のこじらせに目を向けなければいけないというこじらせた思いを持っているからッッッ!

けれどちょっと私の名誉のために言っておくと、

休日の度に「教育」だとか「価値観」だとか、国際社会学を専攻する大学生がレポートで馬鹿みたいに繰り返すであろうワードばかりに思いを巡らせている訳ではない

きちんと楽しんでいる

先日お金がないために図書館で時間を潰していたときもちゃんと楽しい本を読んだ

楽しすぎたので共有したい

インスタではフォロワー数10人弱にも関わらずなんかチキってしまいシェア出来ない系女子だけど、ここは私もような者にも懐を開いてくれる優しいはてなブログなので共有したい

それはこれ

 

旅の賢人たちがつくった世界遺産最強ナビ

旅の賢人たちがつくった世界遺産最強ナビ

 

 

旅人界の重鎮、丸山ゴンザレスさん監修の本である

まず丸山ゴンザレスって名前からして怖い

日本でゴンザレスなんて名前この人しか聞いたことない

スキンヘッドだしヒゲがワイルドだし体もずっしりしていて怖い

いつもTシャツとかパーカーとかばかりでカジュアルな格好をしているのも

一筋縄ではいかない感を醸し出していて怖い

いつも裏社会とかヤバいところに潜入しているジャーナリストって肩書きも怖い

 そんな怖い人が出しているこの本、

めっちゃ面白い

他のガイドブックとかは読んでいると「ああ旅行行きたい!!!!」って欲をかき立てられるけど、この本はもはや旅行している感覚になる

しかも「ああもうお腹いっぱい」ってな感じに

 

世界遺産最強ナビ」なんていうタイトルなんだから、

世界遺産がいかに素晴らしいのかを伝えてくれる本かと思ったらそんな陳腐なことに留まらない本だった

 

例えばカンボジアアンコールワット

もう見逃せないスポットですよね

そんなカンボジアアンコールワット、見ものだけど、アンコールワットのあるシェムリアップにはなんにもなくてつまらんと言い切っている

しかも空港からアクセスがめちゃくちゃ悪いという情報までくれる

なぜ旅人をもっと鼓舞してくれないんだ

と思ったけど続きの情報に目を輝かせてしまった

アンコールワットを見るなら隣国タイのバンコクからの移動がいいよってこと

しかも移動の大変さはそんなに変わらないらしい

まじか!私の大好きなバンコクからアンコールワットに?!

しかもそんなに大変な思いをせずに?!

そんなワクワクする情報をくれてありがとうございます

 

そしてこの本は8人くらいのライターがコラムを寄せている本なんだけど記事にそれぞれの人柄が出ていて濃い

「旅の賢人がつくった」とタイトルで謳っている

丸山ゴンザレスさんがいう「旅の賢人」なんて変人に決まっている

例えば和田虫象さんの日記『世界遺産見学で死んでたまるか。砂漠でオナニーしたった!』

遺跡の入場料が高いことに不満を覚えた著書は、裏ルートから無料で潜入を試みる

けれど途中で遭難し、危機感を感じた著者のあそこも危機感を感じたのか

遭難しながらもぴゅーってやっちゃうという話

遭難してるのに!!!!

個性が強い!強すぎるよ!

この人きっと私には理解出来ない人種である

まずタイトルの「したった!」という言葉が楽しい子ども時代を過ごしました感を出していて好きになれない

入場料を払わないで入場するという発想も人生を上手く生きて来た末っ子感を出していて好きになれない

誰かが見ているかもしれない広い土地でぴゅーするところにパリピ特有の大胆さを感じて好きになれない

さらには肩書きの「ニート気質のフリーライター兼便利屋」というワードに表参道系男子の面影を感じ好きになれない

別にこの人が好きになれないのは、私が楽しい子ども時代を過ごせなかったからでも、長女で責任感のあるつまらない人間に育ってしまったからでも、パリピに目も向けられない陰キャだからでも、雪国系女子だからでもないよ!!!!

世界遺産見学で死んでたまるか。砂漠でオナニーしたった!』なんて言われても誰も羨ましいと思わないし引く

こんなに旅行欲をかき立てられない旅行本も珍しい

でもお腹いっぱいになるっていう意味が分かったでしょう?

 

とりあえずインドに似ている国はスリランカらしい

私はずっとインドに憧れているんだけど、まだ旅行は怖くて踏み切れていないから、今度の長期休暇はとりあえずインドに似ているというスリランカに行くことに決めた

 

 

サウジと教育と鬼の子ども

12時に起き

韓国語を2時間勉強し(内訳:1時間50分Youtube視聴、10分勉強)

暇だったのでツタヤにDVDを借りに出かけたが

途中で車にガソリンを給油したら

昨今の灯油高のせいで思った以上に高くかかってしまった

ショックで旧作DVDレンタル100円にもお金を払うのが惜しくなり

貧乏の味方、図書館に行った

経済情勢に右往左往される消費者のロールモデルである・・・

悲しみ多め

そんななか、石油王が来日でサウジ特需が起こるらしい

こちとらガソリン高で苦しめられているんだから私の手元にもサウジ特需の恩恵が届いてほしい

日本の田舎を体験したいとか言って私の地元に来て

シャッターアーケード街で私を見かけて

あんなにモサい女見たことないって面白がってくれて

3億くらい私に募金してほしい

 

それはさておき、公共施設は貧乏の味方☆図書館でこんな本を読んだ

 

娘と話す 世界の貧困と格差ってなに?

娘と話す 世界の貧困と格差ってなに?

 

 

そうしたら最近ぼんやりと考えていたこととぼんやりリンクしたので書いてみる

 

この本は南北格差つまり世界の格差について書いている

そこでこんな言葉が出て来た

南は今まで援助や助言を受ける側であったが、

「権利の主体」に変貌を遂げた と

 

大学の時に文化人類学の授業でこんな話を聞いた

近代になっても、電気も教育も文明という言葉の概念さえない少数民族の話

確かではないがアボリジニだったように思う

彼らの土地には世界的に見ても希少な植物が多くて

先住民はそれら植物を独自に配合し薬として使っていた

 

そうしてある日、欧米の薬品会社がそれに注目する

彼らの持つ植物と彼らの知恵を借りて有効な薬を販売することに決めた

 

その結果、希少な植物は取りすぎて土地からなくなってしまったし

先住民の知恵はただ同然で使われた

 

けれど先住民の感覚としては最初は搾取されたという考えはなかったようだ

自分たちだけだった世界に製薬会社が来て

訳の分からないうちに大変なことになっていた

私たちの感覚からすると、それは搾取なんだけれど

彼らはそういう発想自体を持っていなかった

自分たちの知恵が「使われる」という感覚も持っていなかったんだろうと想像できる

 

この出来事を経て初めてその民族は権利という概念を持ち

製薬会社に対抗することにした

希少な植物はもう数が少なくなっていて手遅れだった

その民族が権利を訴え始めたきっかけが

自分たちで気付いたのか

搾取されていることを問題視した先進国の人々からの働きかけだったのかは忘れてしまったけど

 

もしもこの民族に権利という概念が伝わっていたなら

最初から製薬会社を拒むことも出来ただろう

 

教育がないから権利を奪われる

教育があって、彼らが英語を理解出来て、

権利という概念を持っていたなら少なくとも

薬を彼らと無料で共有するか、報酬をもらって共有するか、拒むか、

など様々な選択が出来たのではないだろうか

 

けれど教育とは「外から入ってくるもの」であると私は強く感じていて

それは「違う価値観に触れること」と同意だと思っているのだけれど

だからこそ私はここでジレンマが生じている

 

もしも少数民族が世界の他のだれにも見つからないままいたら

従来の自分たちの生活をずっと続けられただろうけど

多様な世界を知らなかったし世界の豊かさを共有出来なかった

他の世界と戦う術も知らなかった

 

少数民族は見つかったから

搾取され彼らの生活を崩壊され

それでも「欧米に搾取されてはいけない、自分の権利を守ろう」という考えを持った

そして周りの友達とか家族とかにもその考えを啓発しただろうし

これはまさしく教育というと思う

 

これって彼らにとっては果たしてどっちがよかったの?ってことを考える

 

価値観の多様化とか教育とかって言葉はいいイメージがあるけど

それは本当にいいことなんだろうかってことを

最近ぼんやりと考えていた

答えが出ようが出まいが意味のないことをぼんやりと考えることは、寝る直前のぼんやりと似ていて気持ちいいから(メンヘラだよ)

 

 そしてこういったことを考えるとなんかこの広告を思い出す

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出典:2013年度入賞作品|新聞広告データアーカイブ

自分の世界を伝えることはいいけど

その教育によってその人は本当にいい運命になるんだろうか

私の価値観は本当に絶対的なものなんだろうか

私たちは鬼を殺した桃太郎を英雄と認めることを価値観として持っているけど

鬼の子どもという側面を見落としてないだろうか

 

例えば、中国の纏足ってあるでしょう

女の子の足をきつく縛って小さく変形するやつ

あれは中国では美しいものとしてみんなが疑問もなく受け入れて来た

それを悪習として他国が廃滅を呼びかけ、少しずつ廃れた

 

なんで私たちは纏足を他国の文化として受け入れず

非人道的なものとして禁止するべきと言ったのだろうか

私たちが到底理解出来ないような気持ちの悪い制度だったから?

身体的な苦痛が可哀想だから?

彼らの美の意識は無視?

 

(けれど教育を否定してして

君らの好きなようにやってくださいと言うと

南側の貧しい環境とかナチスとか北朝鮮とかを正当化してしまうことになる)

 

最近大学の先生が言っていたことに少し共感できた気がしている

「なるべく価値観というものから離れる努力をしている。

人間というのは生まれた時から周りの環境によって考え方を形成されるものであり

完全なる価値観からの解放は出来ないということは分かっている。

それでも様々な物事に疑問を持ち、縛られず、思考から離れたい。」

当初は、何言っているんだ、変な学部に入っちゃったなあ、と思っていたため

詳しくは覚えていないし私の解釈が間違っている可能性も大だけど

私も今の価値観から離れてみたいな

 

 

都市型おひとり様人間が田舎で暮らしにくい理由

私はこの春から地元にUターン就職しました

高校を卒業する18歳までを地元で過ごし、その後上京

浪人時代と大学生時代の5年間を首都圏で過ごしました

今日は都市で楽しい思いを覚えてしまった若者が田舎で過ごすことについて話したいと思います

否、

鬱憤を晴らしたいと思いまーーーす!!!!あーっっっ!!!!

 

私はそもそも雪国である地元が大嫌いで外に出ました

毎年3mくらい雪が積もる地元では晴れる日も少なく

だいたいみんな鬱々としています

明るい人が少なくメンヘラが多いです

私も例に漏れず雪にうんざりし続けて死んでもここを出てやると思いました

 

そうしてもう一点

地元にはなかなか気の合う友達がいませんでした

 

こんな状況で私は頑張って勉強して

第一志望のThe☆都市って感じの大学に進学出来ます

 

18年間の鬱々生活を抜け出し

爛々とした学生生活を送りました

 

楽しい時間はあっという間に過ぎるもので就活の時期です

私は絶対に東京の大手企業に就職出来ると思っていました

だけど・・・

あれっ!うまくいかない!!!

一次面接の前のエントリーシートですら通らない!!!!

なんということでしょう

 

焦った私は地元の金融機関を3つだけ受けました

そこは簡単に就職が決まりました

「大手企業に次々と就職を決める優秀な友達たちに所詮私は敵わない」

「私は社会的に価値のない人間だ」

無い内定病にかかった私は地元に帰ることを決めました

 

地元に帰ってどうだったか

 

まずは仕事面から。

定時帰りが余裕で出来ます

ばんざーい!

公共交通機関がないので飲み会がないです

ばんざーい!

しかし給料が低いです

私は県内でも5つの指に入る高給料の企業で働いていますが

一番低い月で手取り14万円でした

高くても18万円です

なんだってー!

あとはあまり優秀な人がいないので同期の中では一番仕事のできる人になれます

でも大学の同期の話を聞くとすごい勉強してたり

レベルがどんどん離されていくのではないかと心配

レベルの低い中で一番出来る人になるか

それともレベルの高い人に囲まれて自分も高みに引き上げてもらうか

どっちもいいことなんだろうけど

 

お次ぎはプライベート面

田舎は友達または家族がいることが前提の社会です

私は地元に友達がいなくおひとり様なので

結構プライベートは辛いです

首都圏の生活で私が覚えたのはおひとり様の楽しさ

ひとりご飯、ひとりカラオケ、ひとり映画

ひとりで時間を楽しく過ごせる場所はいくらでもありました

街にはひとが溢れているため、ひとりでいるのか友達といるのかは周りの人にとっては関係ないことですよね

田舎だと、ひとりでご飯食べているのが目に入る

それだけならまだいい

知り合いにひとりでいるところを見られることが私は辛いんです!

都会のいいところは、知り合いに会わないところ!

人は多いけど、みんな他人

田舎は、人は少ないけど、みんな知り合い

これが都市型おひとり様の私にとっては辛いところ

 

最後に、私以外の周りのUターン組について

大学の同期でUターンした人は

ちゃんとみんな楽しく過ごしているように見えますよ!

同期と仲良くなって休日もどこかに出かけたり

だからね、友達が出来やすい体質の人はどこに行っても大丈夫!

あと、町おこしとかに共感出来る人も楽しそうに活躍している

 

そして同期じゃないけど、知り合いの人で次のような人がいる

就職うまくいかなくて地元にUターンしたけど

3年で辞めてワーホリに出かけている

戻って来たあとは派遣で働いている

大学の先生から聞いた話だと、よくある話だということ

これ、未来の私やー!!!!

 

私は今5年後をめどにお金を貯めて海外に出る計画を立てている

このまま地元に骨を埋められないと思うのと

自分の人生に何か楽しいポジティブな部分を残したくて

あと今地元で鬱々と我慢しながら働く理由として

その楽しい目標のために頑張っていると思えるから

 

以上です

本音を文章にしてみると自分の悪いところが全部出て気持ち悪いんだな・・・

けれど田舎民ほど海外に出たがる現象についても今度考察してみたいな・・・